たが、吉原第一流の遊君となつてゐる旧恋のひとにめぐりあつて、以来、俄にその生活は幸福となつた。
尤も、いまの八つ橋には、野州佐野のお大尽次郎左衛門あつてのこの全盛なのだつたが、旦那の次郎左衛門は松皮疱瘡のひどい醜貌、かくて彼女の恋ごゝろは、いよ/\栄之丞ひとりに燃えて燃抜き、さればこそけふも阿波太夫のやうな、此又、廓内で五指を屈するに足る幇間のひとりが、殊更、花魁のつかひにこの侘住居までやつて来ると云ふ次第なのだつた。
「あゝ/\風とほしがよくて、いいお住居ですねえ」
手拭で首筋の汗を吹き/\阿波太夫は、日の光りの映《さ》し込まない、冷え/″\とした畳へ坐つて、満更お世辞でもないらしく、辺りを見廻した。
いくら享保の昔でも、人家稠密の廓から来たら、こゝら青田に囲まれた栄之丞の住居は、吹く風からしてちがふだらう。
「生返るやうですよ、あゝほんとに」
誰にともなくまた彼は呟いた。
たつた此丈《これだ》けを云つた丈けの伯龍だつたが、もうそれ丈で忽ちぐるり[#「ぐるり」に傍点]が青田や蓮田の、外はギラギラ烈日がかゞやいてゐるのに、狭い座敷ぢうには小指ほども日が映《さ》して来ない。
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