て濡れた目をかゞやかせて栄之丞が、
「ぢや何かえ、太夫、化物の入る前にその座敷へ、この俺に今夜一と晩、先へ入つてゆつくり愉しんで呉れと、あの八つ橋がさう云ふのか」
「ヘイ、そのとほりで」
「フーム」
やゝ感嘆、此を久しうしてゐた栄之丞だつたが、つゞいて伯龍手を懐中《ふところ》に、その手を胸のあたりからだして顎のあたりを撫廻すと、
「憎くねえ奴だなあ」
何とも云へないその色悪《いろあく》らしい、心憎いほどの巧さ。
が、間もなく私は、拙作小説「春色梅暦」を草するに際し、かの為永春水の原作を翻読して、唐琴屋丹次郎が許嫁お蝶の申出に対して、全く同様の手法の採られてゐることを発見し、おもはず微笑まずにはゐられなかつた。
なぜなら、彼、伯龍。
年少、師匠伯山と横浜公演に赴いた砌り、兄弟子《あにでし》にあたる「日蓮記」の巧かつた柴田南玉と古本屋を漁つてゐるうち、偶々「梅暦」を発見し、以来、一と方ならない為永の信者となつて、その作風に大いなる影響を与へられたと聞知つてゐたからだつた。
「オイ伯龍さん、あの『百人斬』で栄之丞が顎を撫でるところは丹次郎を応用したねえ」
変化《へんげ》の正体を
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