舌になったかと思われる」と叙したが、まことや、故圓蔵の、ピリオッドのない散文詩集をよむような、黄色い美酒の酔いごこちは、いま想っても、すばらしい。
 明治、大正の噺家で、いくたり、あれだけの飄逸があろう?
 この日は昼席の有名会で、我が圓蔵はたしか「八笑人」をやった。
 喋っているうち、だんだん秋の曇り日が暗くなりだして(その頃、鈴本は、今のところの向こう側にあって、二階と三階とを寄席にあてているこしらえ[#「こしらえ」に傍点]だったが)白い障子が時雨《しぐれ》れてきた[#「時雨《しぐれ》れてきた」はママ]。
 圓蔵の顔がしばらく、暗く、うすらかなしく、その中から、「八笑人」の、あの仇討のひとくさりの「ヤーめずらしや何の某……」。あすこのくだりばかりが、急速なテンポをもって、しきりと我らの胸に訴えられてきた。
 広小路に早い灯花《あかり》がちらほら点いて、かさこそと桜落葉が鳴り、東叡山の鐘が鳴ったが、立つ客とてはひとりもなかった。
 ついでにこの日、小さんは何を演《や》ったか忘れた。圓右が「業平文治」だった。文字花が「戻り橋」を一段語った。右女助《うめすけ》も若手で目をパチパチと「六文
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