すこぶる侠《いなせ》にならざるを得ない。ましてや啖呵には絶妙である。江戸っ子は相手をまったくのコケに扱い、「磔野郎」と言う時も、同じ筆法で「はッつけ野郎」となまるくらいだから、つまりはこうなるのが本寸法だろう。
「てやんでェ、はッつけめ。こッとらァ、かッたァ三河町でェ。汝《うぬ》らの手ごちにあうもんけえ」
 なら、聞いただけでも青春|溌剌《はつらつ》。※[#歌記号、1−3−28]江戸はよいとこ 広いとこ……と昔の小唄のこころいきが実感されてくるではないか。

    草いきれ

 寒さとか、暑さとか、吹雪とか、しまきとか、野分《のわけ》とか、さてはまたヒビあかぎれとかそれらの俳諧の季題なるものはすべて、この人の世の辛い苦しい切ない悲しいことどもを、辛いなりに苦しいなりに、ジーッと見つめ、見守り、味わい、果ては愉しいものにすら考えていこうとひたむきになった人間たちのいみじき企てだったのだろう。火災保険のまったくなかった江戸時代に、あまりにも頻々たる火災をば「火事は江戸の華だい」と江戸っ子たちが、反語的に嬉しがった心理と似ている。そうして、その企ては、たしかに成功したと思っている。
 その
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