「元和三勇士」の一節でとんだお景物を恵んでくれた。それは、出てくる江戸っ子の肴屋が、
「あッしァ、かッたぁ[#「かッたぁ」に傍点]三河町でござんす」
 と言ったことである。
 かッたぁ――すなわち神田である。死んだ十二世雪中庵――故増田龍雨翁は、徳川の川は清かれと江戸っ子は濁音を嫌ったもので、「神田」は「かんた」「駒形」は「こまかた」「袢纏着」は「はんてんき」と当然言った。「かんだ」や「こまがた」や「はんてんぎ」では妙に近代的理性的で、つまり乙ゥ啖呵《たんか》が切れないからでさぁと生前、事あるごとに教えてくれた。
 なるほど、そうであろうと思っていたが、陵潮はさらにそいつを鉄火に実践して、「かッたぁ」「かッたぁ」と発音したのは、さすがと思う。
「アキハバラ」「タカダノババ」の今日では、今夏、あるところへ書いた私の小説など、校正注意と欄外へ朱書までしておいたのに、「駒形堂」を「こまんどう」とはルビしてくれず、むざんや、標準語で「コマカタドウ」でアリマシタ。
 それはそれとし、「神田」をすべて「かッたぁ」で発音してしまうと「かッたぁの明神」「かッたぁ祭り」「かッたッ子」とくるから、物事万端
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