ことがあったが、安支那料理屋みたいなペンキ塗りのバラックでそのかみのような下町娘は、金春芸者は、そして白壁は、広重は――もはや、見出せようよしもなかった。
 桑名をながれる揖斐《いび》川の水は、今も秋くれば蒼いのにあの万橘の「桑名の殿様」がもう、東京という都会からは、歓迎されずに亡びてゆくか?と考えたら、それも、決して偶然な運命ではないように想われて、あたしは泪ぐみたいような気にさえなってくることが仕方がなかった――。これがあたしの思い出の第一。

 本郷の若竹の銀襖を、晩夏の夜の愁《かな》しみとうたいしは、金子光晴君門下の今は亡き宮島貞丈君だった。ほんとうにここはまた、山の手らしい、いつも薄青い瓦斯灯の灯の世界であった。めくらで、あし[#「あし」に傍点]の立たなかった、あの小せんを最後に聴いたのが、この若竹の秋の夜だった。
 小せんは、通り庭になっている秋草の植えこんであるあたりを、きっと俥から下りると、前座に負われて楽屋入りした。――それが寄席からうかがわれるので、いっそ、我らに涙だった。
 小せんの上がる前というと御簾《みす》が下りる。蒲団へ座った小せんの四隅を、前座がもって高座
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