しく桟敷にいて、よけい、「東京」らしい華やかさに濡れそぼけていた。若い女たちが嬉々と笑いさざめく時、高座では青い狐の憑いたような万橘《まんきつ》がきっと、あの甲高い、はち切れたあけび[#「あけび」に傍点]の実みたいな声をあげて、
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※[#歌記号、1−3−28]あれは当麻《たいま》の
中将姫だよ
やっとよーいやさ
あーれはありゃりゃんりゃん
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その最後のありゃりゃん[#「ありゃりゃん」に傍点]を、ことさら、瓦斯《ガス》の灯の燃え沸《たぎ》るほど、ひとふし、張りあげてうたうのだった。が、きょうびはあの飄逸な万橘の唄も、我らの欣喜渇仰するほどこの頃の寄席のお客には迎えられず春風|柳《やなぎ》の田舎唄に一蹴されて、到底、そのかみの意気だにないという。
先の女房を虐げて追い出した(?)とかの祟りで、昔から寄席の儲かる時分になると、万橘は脳を患っては休むのが常だ――と、これも、自分は、金沢華やかなりし頃、嘘か、まことか、耳にしたことも、こうなると、いっそ秋寒い。
林家正蔵のスケをたのまれ、一度だけ自分はこの金沢の二世である東朝座の高座へ立つ
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