い。聴いていて、だんだん私は今夜の清興の色褪せてゆくものを感じた。その上このクライマックスのさわりのところまでしゃべってきた時、プツンと下座の三味線糸が絶《き》れてしまった。染丸はあの四角い顔へキッと怒りの色を見せて、「糸が絶れましたよってまた明晩お聴き直しを……」と、プイッとそのまま接穂なく高座を下りていってしまった。「オイお前、肝腎のとこで糸絶らしたら仕様ないやないかド阿呆」続いて口ぎたなく怒鳴っている声がこんな風に客席の方にまで聞こえてきた。いよいよ私は感興を殺《そ》がれた。
 そのすぐあとへ隠退した音曲師の橘家圓太郎が、この間没した圓生のような巨体をボテッと運んできた。「姐ちゃんいま染丸さんに怒られて気の毒だけどひとつぺんぺんを弾いておくンなさいな」、いと慇懃《いんぎん》に彼は言った。見ていて好感の持てるような腰の低いニコニコした態度だった。いくら古く上方に住み着いていても根が圓太郎は東京人だから、染丸と違って下座一人にもこんな気兼ねをするのだろうか。がそれにしてもあの染丸のあの態度はどうも好くない。糸を絶られて芸の情熱を遮断されてしまったあの憤らしさはよくわかる。同情もできる
前へ 次へ
全23ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 容 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング