俳優として不朽の青春をもてあそびおり、二十年一日、旧東京招き行燈の灯影を恋おしみ、寄席文学の孤塁を守りいるものは、私ひとりとなってしまった。
だが、今にして私は思う、このモリヨリヨンというものを、モリヨリヨンの「本体」というものを。それは、その頃の落語家なるもの、一に話中の八さん熊さんと精神生活を等しうしてその狂態を活写すべく、まず常日頃よりおのれが身辺に妄動する小理性の閃きを皆無たらしめんとして、かかる愚かしきなんせんす舞踊の特技をば、ことさらに研き、身につけていたのではなかったか、と。あたかもそのかみの歌舞伎女形、「疝気《せんき》をも癪《しゃく》にしておく女形」の心得を四六時中忘れざりしがごとくに、である。しかりしこうして神崎武雄君、
「世の落語家のとにかく我々同様の愚かしきところを片相手に云々と紋切形のまくらを振るは、かくいいてまずその落語家自身の身辺にみなぎる常識、理性の色彩を抹殺せむ用意」
とかつて喝破せられしもまた、じつに同様の消息を語るものとぞ思わるる。
それ五風十雨《ごふうじゅうう》の太平の御世なりしかば、そのような愚かもまたなし得たのだと人、誰か、いう。太平逸楽
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