の頃の落語家にしてなおかつ、この常在戦場の心構えあったのではないかとさえ、むしろ私は叫びたい。すなわち方今の落語家諸君は、近代の儀礼教養をことごとく習得しつつ、一方その近代教養の槍衾《やりぶすま》に高座の演技、常識地獄に堕せざるよう昔日の人々の二倍三倍のよき愚かしさを身につけるのでなければなるまい。文明開化の聖代は、ついに落語家の習練にも、精神上の二重生活をしいるに至ってきたのである。まことに難しとしなければなるまい。
教養過重にて、とにかく、底抜けの笑いを発散、開拓し得ぬ年少の落語家某君を連日にわたって戒めているうち、談、たまたま往年のモリヨリヨンが珍技に及び、私は感慨すこぶる量りなきものがあった。後日のしのぶ草また数え草、かくは書き留めておく所以《ゆえん》である。
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寄席朧夜
今から十二、三年前までは大阪の街の人たちは春がくると、美しい花見小袖を着、お酒やらお重詰やらをたくさんこしらえて堀江の裏の土佐の稲荷へお花見に出かけた。町も町も町のド真ん中のお花見だけれど、これがなかなか風流なもので昼は昼、夜は夜桜で、歌い、華やぎ、楽しんでいた。ばかりでない夏の七
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