、モリヨリヨーン…… と諷い出し、そのたび金語楼、あたかも活惚《かっぽれ》坊主がスネークのひと手を学び得たるかのごとき奇々怪々の演舞を示して、渓水翁と私とを笑殺せしめた。元すててこもへらへらも郭巨《かっきょ》の釜掘《かまほ》りも大方が即興舞踊に端を発したるものとはいえ、それらのなんせんす舞踊には立派に曲もあり、振りもあり、よく一夕《いっせき》の観賞に値するのであるが、わがモリヨリヨンに至っては節もなければ、約束もない。その比喩のあまりにも突飛なるを許させられよ、もしそれ御一新に亡命せる江戸っ子の群れ、遠く南洋の島々へ落武者となって悠久の塒《ねぐら》を定め、彼地の土人が即興の舞踊を具《つぶ》さに写したらんか、すなわちこれと思わるるほど、哀しくおかしい。
 それにしても神戸の旗亭でモリヨリヨン踊りを見せられてから、はや二十余年の歳月が経つ。だいたい、死ぬと思われなかった貞丈まず逝き、次いで三語楼、渓水と後を追って、モリヨリヨンの同志、いまやわずかに生き残りいるは柳家金語楼と私とのみになってしまった。しかもそののち年ならずして人気、一代を圧倒した金語楼はもはや昔日の落語家ならず身辺多彩の喜劇
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