いて歌いかつ踊った最後の一人だったろう。
突如、それこそほんとうに突如、座敷の中でも、寄り合いの最中でも一人がツケ板のようなものでやたらにそこらを引っ叩いて、
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※[#歌記号、1−3−28]モリヨリヨーン、モリヨリヨーン……
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とアジャラ声を張り上げ、そのあと何が何だか為体《えたい》のわからないことを歌い出すと、それに合わせて一方は目を剥き、烈しく手を振り、足を蹴り上げ、世にも奇妙奇天烈な恰好の乱舞をはじめる。もちろん、三味線も太鼓も入らない。狂馬楽はこれを師走の珍芸会の高座でくらいは演ったかもしれないが、まずまず平常は高座以外の、仲間との行住|坐臥《ざが》、もしくは冠婚葬祭の時にのみ、もっぱら力演これ[#「これ」に傍点]務めたのである。
思い起こす大正末年の歳晩、柳家金語楼、当時新進のホヤホヤで神戸某劇場の有名会へ初登場のみぎり、一夜、同行の先輩柳家三語楼、昇龍斎貞丈、尺八の加藤渓水の諸家と福原某旗亭において慶祝の小宴を催したが、興至るやじつにしばしば畳叩いて三語楼と巨躯《きょく》の貞丈は、※[#歌記号、1−3−28]モリヨリヨーン
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