庵円通堂に閉じこもり、禅三昧に俗塵《ぞくじん》を避けた。
 わずかに、翌二十五年九月、大阪浪花座へ一枚看板で乗り込んでいったが、帰京後、まもなく彼は人力車から振り落されひどい負傷をした。いよいよ世の中が面白くなかった。
 いくら禅学に心身を打ち込もうとしても心乱れて、次第に白髪が増えていき、見違えるほど老い込んでいった。そのたび、圓朝はしずかに目をつむった。そして、あの花火の晩のことを考えた。不思議にあの晩のことを考えると、十も二十も若返ってくる思いがされた。
 明治三十二年月十月、ついに日本橋の大ろじで「牡丹燈籠」を長演したのが最後の高座となり、その年の暮れから彼は、枕も上がらぬ病の床に臥《ふ》してしまった。年がかわると冬から春へ、やがて夏へ、とって六十二歳の圓朝は、いよいよ衰弱の多きを加えた。
 進行性麻痺兼続発性脳髄炎との長い病名で、すでに脳の中枢をやられていたので、ときどきもののけじめがわからなくなった。

 八月三日の日暮れ近く――。
 下谷広徳寺近くの圓朝の家では、よく繁った樫の葉蔭にみんみん[#「みんみん」に傍点]蝉が啼き立てていた。
「どうだい、おい、師匠の容態は」
 
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