とする。そして「第三」を見てほしい。
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  断章の三

 およそ人間のさいころは、六が続くと、また一《ピン》が出る。
 運には限りのあるもので、圓朝ほどの傑物も、まもなく本邦速記術の発達により、若林|※[#「王+甘」、第4水準2−80−65]蔵《かんぞう》、小相英太郎、今村次郎の速記をもって「牡丹燈籠《ぼたんどうろう》」「安中草三」「塩原多助」「美人の生埋」「粟田口」「乳房榎《ちぶさえのき》」「江島屋」「英国孝子伝」と相次ぐ名作が、落合芳幾、水野年方らの艶麗な挿絵に飾られて、やまと新聞、中央新聞に連載され「塩原多助」を井上侯邸でかしこくも陛下の御前講演の栄に浴したる五十三歳の明治二十四年を絶頂としてようやく、その運勢は華やかな姿から遠ざかっていった。
 席亭の横暴を憤り、逸足として鳴っていた圓生、圓遊、圓喬、圓太郎、圓橋、圓馬の門人たちと語らって、席亭克服のひと旗をあげようと計ったが、門人中に裏切ってつとにこの連動を席亭側へ知らせたものがあり、この結束は崩壊してしまった。
 絶望した圓朝は、
「もう私は、東京の寄席へはいっさい出ないから」
 と、当時、新宿北町に結んだ草
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