ことにかけちゃアカラ[#「カラ」に傍点]だらしのねえ俺だもの。夜中の町を駆け出してゆきながら彼は、身体中でベソを掻いていた。


  圓朝の家

 梅咲くや財布のうちも無一物――禅味のある一流の字で認められた山岡鉄舟先生の半折をお手本にして、三遊亭圓朝は、手習いをしていた。浅草代地河岸の圓朝の宅。ツルリと抜け上がった額を撫でながら圓朝は、「梅咲くや」「梅咲くや」となんべんも書いては消し、書いては消していた。その前にかしこまって圓太郎は、いまだ用件も聞かされないままでいた。
 ギイ……ギイ……ギイ……墨田川を滑ってゆく艪《ろ》の音が聞こえて、師走の朝日の濡れている障子へ映る帆の影が、大きく、のどかに揺れていった。その帆影をボンヤリ見ながら、今日はお八重ちゃんはいないンだな。圓太郎はそんなことを思っていた。でも朝早くからいったいどこへ出かけていったンだろう。
「あの……お前、昨日ねェ」
 そのときだった。ムックリ圓朝が顔を上げた。そうして話しかけた。
「……ヘ、ヘイ」
 フイ[#「フイ」に傍点]を食って圓太郎はドキマギした。
「イエ、あの昨日たのんだお座敷ねェ。あれはお前、確かにつとめてき
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