い。描写、会話、運びの巧さにおいても優に十箇所以上を採り上げて示すことができる。しかも「乳房榎」の場合と同じく「累ヶ淵」もまた最も鑑賞すべきは、江戸|歳晩《さいばん》風景の如実なる宗悦殺しに端を発し、凄艶豊志賀の狂い死にまでにあるとこれまた、点を辛くして高唱したい。
挿話(?)として新吉の兄新五郎、同じく因果同士の豊志賀の妹お園とめぐりあい、うっかりお園のいのち[#「のち」に傍点]を終らせてしまうくだりや、のち[#「のち」に傍点]悪事を働き獄門台上にある新五郎の首が新吉の夢枕にあらわれるくだりなど、ここも因果ひといろで塗り潰されていながらしかし決して不自然ではなく運ばれている。もし『圓朝全集』第一巻「真景累ヶ淵」を通読されること以外に親しくその辺の口演に接したいといわれる方あらば、現、蝶花楼馬楽が引き抜き道具立の正本芝居噺によって味わわれたいといっておこう。馬楽は圓朝直門の、今は亡き三遊亭一朝老人から、手をとって教えられているのである。
最後に結末ちかき力士花車登場以後の、大圓朝らしからぬ冗長至極の物語の構成に関しては、あえて私はこういいたい。あまりにも連夜の評判また評判が、自動他
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