べ立てる。「不人情のようだがとてもここには居られない、大門町へ行って伯父と相談をして、いっその事下総羽生村に知っている者があるから、そこへ行ってしまおうか」とある夜、表へでる。パッタリ会ったのが、豊志賀が悶えの種のお久である。ところでこのときの新吉の言葉が巧い。「お久さん何処へ」と訊き、「日野屋へ買物に」とすぐお久が答えているのにもかかわらず、また少し経つと「お久さん何処へ」。また少し話が途切れると「お久さん何処へ」。とうとう不忍の蓮見鮨の二階へ二人上がり込み、差し向かいに坐ってまでもまだ「お久さん何処へ」を繰り返していることである。もうこれだけいっただけで説明にも及ぶまいとおもうが念のために蛇足を添えるならつまりぞっこん[#「ぞっこん」に傍点]と惚れ込んでいるこの自分の心をうっかり話の途切れに相手に悟られてしまってはならない、そうしたその思惑がつい何べんも何べんも「お久さん何処へ」と下らなく同じことばかり訊ねてしまってはいるのである。もうくどいほど繰り返している圓朝のこうした巧さ。でもやっぱりまたしても採り上げないわけにはゆかない巧さなのである。
 ところがこのお久も継母に虐められて
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