に先立ち兄新五郎はつとに出奔しているがまだ幼かった弟新吉のほうは門番勘蔵に育てられ、年ごろになっても勘蔵を真実の伯父とおもって暮らしている。勘蔵は下谷大門町に烟草屋を、新吉は始め貸本屋へ奉公していたが、のち掴煙草《つかみたばこ》を風呂敷に包みほうぼう売り歩いている。かくて根津七軒町の富本の師匠|豊志賀《とよしが》と相知るのである(これが宗悦の娘であることはすでに述べた)。三十九でまだ男を知らなかった豊志賀が、僅か二十一のそれも仇同士の新吉と悪縁を結び、同棲する。はじめのうちは何事もなかったが、そのうち稽古にきているお久という愛くるしい娘と新吉の上を疑ってクヨクヨしだしたのが始まりで、「眼の下ヘポツリと訝《おか》しな腫物が出来て、その腫物が段々腫れ上がってくると、紫色に少し赤味がかって、爛れて膿がジクジク出ます、眼は一方は腫れ塞がって、その顔の醜《いや》な事というものは何ともいいようが無い」。
 それが「よる夜中でも、いい塩梅に寝付いたから疲れを休めようと思って、ごろりと寝ようとすると」揺り起しては豊志賀、「私が斯《こ》んな顔で」とか「お前は私が死ぬとねえ」とか怨みつらみのありったけを並
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