殿様が振り返ると、こうダラリと両手を下げ、スーッと灰いろに尾を曳いてすくんでいる宗悦のすがた、圓右の姿はなくてそこにションボリ青ざめた宗悦の霊のみが物凄い半眼を見ひらいていた。生涯、忘れられないだろう。
ところで圓朝は深見家の改易を座光寺源三郎が女太夫おこよを妻として召捕られたかの「旗本五人男」事件に関連させ、そのことによって巧みにこの新左衛門を惨死せしめている。即ち源三郎お咎めののち新左衛門は座光寺邸の宅番を仰せつかっていると、例の売卜者梶井主膳が「同類を集めて駕籠を釣らせ、抜身の槍で押し寄せて、おこよ、源三郎を連れていこう」とするため、抜き合わせて斬死してしまうとこういうのである。それにしても圓朝は「旗本五人男」という講釈の上に、かなりの関心を持っていたものと見ていい。なぜならかの「月に諷う荻江一節」、荻江露友を扱った物語の挿話でも同じく「五人男」中の此村大吉を登場させこの大吉の姿をモデルに中村仲蔵が例の五段目の定九郎をおもいついた一齣を挟んでいるからである。今日、圓馬、下って文治にのこる一席物の人情噺「仲蔵」は、これを独立させたものである。
その結果深見の家は改易となり、それ
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