頭、大工の棟梁、といったような住人が多く、格子のうちに御神燈が下っていたり、土間の障子を開けた所がすぐに茶の間で、神棚、長火鉢、茶箪笥といった小道具よろしく、夫婦者が研き込んだ銅の銅壺でお燗をしながら小鍋立をしていたりしたのを見た記憶があるが(下略)」
 もうこれによって私のいわんとするお長屋の何たるかも改めてくだくだと説明には及ぶまい。ついでにあなた方は、
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焼海苔や米に奢りし裏長屋  龍雨
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 という句の意をおもいだして下されば、もうそれでいいのである。今や時局下の東京へもトントントンカラリの隣組は設置されたが、隣が青森県人で向こうが佐賀県人、まん中に茨城県人がという合壁の寄合長屋ではまだまだこの東京というところの辛うじて喘ぎのこっている伝統都市美の保存、もしくはすでに絶え果てた佳き風習風俗の再興を企てよう精神文化的な心組みまでには至るべくもない。大東亜共栄圏確立、五十年百年の後には再び圓右が宗悦の一節に聴いたような和気|藹々《あいあい》たる洗練東京の「隣組」が新粧されていようことをせめても私は死後に望んで止まないのみである。
 ――や
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