裏を通るたんび再びこの「宗悦」や「権三と助十」などのお長屋風景をおもいだして、僅かに形骸だけはのこっていた少年時の旧東京の下町住居への仄かなる郷愁をおぼえていたら、思いは同じ谷崎潤一郎氏もチャンとこのほど「初昔」の一節で叙べていられる。
「震災後の東京の下町にはあの両側に長屋の並んだ路次というものが殆ど見当らなくなったが、大阪にはいまだにあれがある。繁華な心斎橋筋を東か西へ這入ったあたりの、わりに静かな街通りを行くと、家並が一軒欠けていて、その庇間《ひあわい》のような所にそういう路次の入口があり、時にはその入口にちょっとした潜り門のようなものが附いていて、奥の長屋に住んでいる人々の表札が並べて掲げてあることもある。またその潜り門の上に二階が附いていて、そこに人が住んでいるらしく、あたかも楼門のようになっているのもある。そういう路次は通り抜けが出来るのもあるが、大概は行き止りになっているのが多く、その袋小路の中は、熱閑の巷にこんな一郭がと思えるようにひっそりとしていて、電車や自動車の響も案外聞こえてこず、いかにも閑静なのである。子供の時分に東京にあった路次には、隠居、妾、お店の番頭、鳶の
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