くる」に白丸傍点]のでげすから」根津から小石川小日向へまでを「山坂」云々はいかにもそのころの辺陬《へんすう》の感じがあらわれていて、時代風景的におもしろい。我が愛蔵の明治二十年代の東京地図にして現今の小石川区林町あたり、林村と記されている。当時は「山坂」が当然だろう。
 とうとう宗悦は新左衛門の一刀にかかって殺されてしまう。新左衛門は家来に命じて屍骸を葛籠《つづら》へ。棄てにやる。もうおもてはしんしんと雪ふっている。葛籠は「根津七軒町の喜連川様のお屋敷の手前に、秋葉の原があって、その原の側」の自身番の前へ棄てられる。翌朝これを慾張りの上方者夫婦が自分の落とし物だといって引き取ってくる。それを同じ長屋に燻《くすぶ》っている悪が二人、夜に入るを待って盗みだす。盗んできた二人は暗中、手触りで葛籠の中をかき廻すのだが、まず油ッ紙へ触ると「模様物や友禅の染物が入ってるから雨が掛かってもいい様に」してあるのだと喜び、冷たくなっている宗悦の顔へ触ると、これは宿下がりの御殿女中の荷物で「御殿の狂言の衣裳の上に坊主の髢《かつら》が載ってるんだ」とまた喜ぶ。ところがさらにキュッと手で押さえ付けるとグニャッ
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