しいお話で』と、怪談をめちゃめちゃに踏みにじってから、怪談にかかるのだから矛盾もまた甚しい。第一凄味もなにも出ない」云々。
 あの典山にして大正から昭和初頭へ。モダン文化のネオン燦然たる前には百年変らざる伝統の世話講談を繰り返している自分に忸怩《じくじ》たるものをおぼえ、思わずこうしたことを呟いてしまったのだろう。けだしモガモボ時代の昭和初年も、鹿鳴館花やかなりし明治開化期も、いずれは同じ米英化一色の時代である。その時に当って我が圓朝は敢然と開化人を膝下に集めて時下薬籠中の怪談のスリルを十二分に説きつくし、典山のほうはこの醜態を曝露している。今日、神田伯龍あたりが意味なく時代に迎合してせっかくのお家芸をば放棄している、思えば無理からぬ次第といえよう。
 ――さて小石川服部坂の旗本深見新左衛門、盲人宗悦に借りた烏金《からすがね》が返金できずつい斬り棄ててしまう。この宗悦の娘で富本の師匠たる豊志賀《とよしが》が、新左衛門の遺子で十八も年下の新吉と同棲する。こうした因果同士の結合がすなわち、「累ヶ淵」の発端である。
 雪|催《もや》いの十二月二十日、宗悦は新左衛門宅へ催促に行くと、「おい誰か
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