たのか、ということについては最後において述べよう。
まず毎度ながら圓朝の教養は、このまくら[#「まくら」に傍点]においては断見の論という一種の唯物論を見事に覆《くつが》えした釈迦の話から神経病の存在、ひいては幽霊の存在肯定説を簡単に披瀝している。前掲綺堂先生の随筆にも見らるる通り何しろ世を挙げての欧化時代、その真っ只中で怪談噺で一世に覇を唱えた彼圓朝である。まくら[#「まくら」に傍点]においてこのくらいの用意あったは当然のことだろう。またこのくらいの用意あってかからなかったらいくら名人上手といえども最高潮場面に達する以前に心なき文明開化のお客たちの笑殺するところとなってしまっててんで[#「てんで」に傍点]相手になんかされなかっただろう。錦城齋典山は人も知る金襖、世話物の名人であるが、その典山にして晩年は「怪談|小夜衣草紙《さよごろもぞうし》」を読むたびに、左のごときことあったと増田龍雨翁は「木枕語」なる随筆中で憤慨されている。引用してみよう。
「典山はこのごろ何の感違いをしているのか、怪談をよむ前に、怪談の語るべきものでない、そんなことのあるべき筈がない、『開明の今日は、ちと馬鹿馬鹿
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