い扮りをしていますからなどとひと言も断っていないところに注目して貰いたい。そうして涙の中にドーッと笑わせたすぐそのあと「さてこれから文七とお久を夫婦に致し、主人が暖簾を分けて、麹町六丁目へ文七元結の店を開いたというお芽出たいお話でございます」と少しも持って廻らず[#「持って廻らず」に白丸傍点]、トントンと運びめでたくたちまちおしまいにしてしまっている手際よ。
希《ねがわ》くは何とかして私、「文七元結」の圓朝以前のものが知りたい。我が圓朝の、原作のどこへどう細工を施したか、それを知ることによっていっそう圓朝という人の特別の技量の、いよいよ私たちの前に明らかにされるだろうから。
「真景累ヶ淵」
安政六年圓朝二十一歳の作品。しかも素噺転向後の第一声としても絶対高評だったとあれば、一番圓朝にとってもおもいで深き作品だったろうとおもう。事実、宗悦殺しにはじまって甚蔵殺しまで、ことごとくこれ息をも吐かせぬおもしろさである。芸術的な匂いもまた、かなりに高い。但し、その後の花車という角力のでてくる辺りからは全くの筋のための筋で、およそつまらない。なぜそのようにつまらなくなってしまっ
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