ころを見ると、ひどい扮《な》りのため最前屏風のかげへ隠れてしまっていたお神さんがハラハラして長兵衛の袂をしきりに引っ張っているのだろう、こんな僅かの会話の中で、それが見える[#「見える」に傍点]。
旦那はこの者は身寄りのない者ゆえ、あなたのような潔白のお人の子にしてやってくれ、そうして自分とも親類|交《づきあ》いをしてくれといいだす。そこへ「親子兄弟固めの献酬《さかずき》」のお肴が届く、四つ手駕籠で。いつかこの旦那によって佐野槌から引かされてきたお久が「昨日に変る今日の出で立ち、立派になって駕籠」から下り立ったのである(読者よ、旦那に長兵衛の住居の分ったのはけさお久身請に番頭が佐野槌までひと走りしてきたからである)。やがてお久はその男と夫婦になり、麹町六丁目へ暖簾を分けて貰い、文七元結の店を開く。いう迄もないことだが、文七文七というのはこの若者の名前なのである。
それにしても一番終りの場面の、お久かえりぬと聞いて嬉しさのあまり、母親お兼が「オヤお久、帰ったかえといいながら起《た》つと、間が悪いからクルリと廻って屏風の裡へ隠れました」というこの演出も見事である。「間が悪い」の上へひど
前へ
次へ
全82ページ中65ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 容 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング