もう。
 家出したお久は長兵衛の出入先、吉原の佐野槌《さのづち》(速記本では角海老になっている、圓馬は佐野槌で演っていた、圓朝自身も高座では佐野槌で演っていたとある。但し、先日の六代目のは角海老で、念のため五代目菊五郎伝を見たらこれも角海老となっているのは当時の脚色者榎戸賢二、速記本に拠ったものなのであろうか――)へいっている。しかも呼びにこられて長兵衛がいってみると、お久は父親の借金を見兼ね、この年の瀬の越せるよう自分の身体を売りにきたのだと分る。お内儀はその孝心に免じて百両長兵衛に貸し与え、二年間店へださない故、その間に身請においで、その「代り二年経って身請にこないとお気の毒だが店へだすよ」とこう念を押される。ところで圓朝はこのやりとり[#「やりとり」に傍点]の前にお久の嘆きの言葉をいわせているが、圓馬も先代圓生もハッキリとこの後でいわせていた(圓右のはどうだったろうか、惜しやもうおぼえていない)。ハッキリこればかりは後のほうがいいとおもう。
「手荒い事でもして、お母《かあ》が血の道を起すか癪でも起したりすると、私がいれば」いいけれど、もう私が家にいないのだから、阿父《おとっ》さん
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