まで弁《わきま》えているわけではなく、その都度しらべてかかる場合も少なくなかったのだろうが、何にしてもこの凝りようが、毎々いうごとくどんなにそこに噺の真実味というものを倍加させていることか。
 然るにそれほどの腕を持ちながら怠けもので勝負事好きの長兵衛は、きょうもすってんてん[#「すってんてん」に傍点]に取られて「十一になる女の子の袢纏を借りて着」てかえってくると、家では家で、年ごろの娘お久がどこへいったか、行方しれずとなって騒いでいるところだった。顔を見るなり女房のお兼が「深川の一の鳥居まで」探しにいったと夫に訴えるのであるが、本所の達磨横丁(いまの本所表町)に住む長兵衛の女房として「深川の一の鳥居まで」というのは、何だか大へんに遠くまで探しにいった感じがよくでている。けだし「深川の一の鳥居」という言葉の中には、たしかにある距離的な哀感すら伴っているとおもうもの、私ひとりだろうか。しかもそれを聞いてから長兵衛が「ええ、おい、お久をどうかして」とか「居ねえって……え、おい」とかにわかにオロオロ我が子の上を追い求めだすところ、まことに根は善人なる長兵衛という人の性格を浮彫りにしているとお
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