代目が上演して好評だった「文七元結」は圓朝の作ではなく、圓朝以前にもあったかりそめ[#「かりそめ」に傍点]の噺を、これだけのものにしたのであると『圓朝全集』の編者は解説している。盲目の小せん(初代)が「白銅」をはじめこうした例は落語界には少なくない故、そう見ることが至当だろう。
 圓右、圓馬、先代圓生(五代目)、現志ん生(五代目)、現馬楽(五代目)とこれだけの人たちの「文七元結」がいま私の耳にのこっているが、その巧拙良否の論《あげつら》いはここでは書くまい。相変らず圓朝、左官の長兵衛の手腕を紹介するには「二人前の仕事を致し、早くって手際がよくって、塵際《ちりぎわ》などもすっきりして、落雁肌にむらのないように塗る左官は少ないもので、戸前口をこの人が塗れば、必ず火の這入るような事はないというので、何んな職人が蔵を拵えましても、戸前口だけは長兵衛さんに頼むというほど腕は良い」と蘊蓄《うんちく》を傾けている。左官のテクニックなんか知るよしもない私たちまでこういう風に聞かされると何だかこの長兵衛という人を頼んでみたくなるようなものを覚えてくるではないか。圓朝といえども全智全能ではないから何から何
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