、後生だからお前、阿母《おっかあ》と仲好くして――といういじらしい訴えなのである。速記では「お前お母と交情《なか》好く何卒辛抱して稼いでおくんなさいよ、よ」と言葉をそっくりおしまいまでいってしまっているが、圓馬は「もう私がいないのだから」辺りから少しずつ言葉が曇りだしてきて、「後生だから……お前」と慄え、「阿母と仲好く……」とまでくるともうあとはそれっきりひそ[#「ひそ」に傍点]と泣きくずれてしまったので、随分ジーンと私たちまでが目頭を熱くさせられてしまったものである。尤も圓朝の速記のはよーく見ると「稼いでおくんなさいよ、よ」とおしまいの「よ」を殊更にダブらせている。そこに圓朝独自の言葉の魔術が発揚され、よひと言で圓馬の場合と全く同様の心理を描きつくしていたのかもしれない。さるにても圓馬のこの表現、「芸」の極意たる序、破、急の世にも完全なる見本みたいなものでこの手法を小説の会話の上へ採り入れることにその後私はどんなに多年苦しんだことだったろう。現に今日も私より稚《わか》い芸能人に芸道上の注意を与える場合、必ずやそれはこの序、破、急の欠陥以外にはないから妙である。そのたび必ず私はこの圓馬
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