であり、芸術的香気もまたすこぶる高いと確信している。もちろんこの後、仇討までの何席かも決して「江島屋」のごとき作意はなく、ことに再び正介が浪江から真与太郎を十二社の滝壺へ投げ込んでこいと脅かされて泣っ面で邸を飛び出し、山の手へかかるとだんだんはつ秋の日が暮れかかる。折柄、賑やかな新宿の騒ぎ唄をよそに頑是《がんぜ》ない子を抱きしめてこの正直一途の爺やがホロリホロリと涙しながら角筈さして、進まぬ足を引き摺っていく辺りは、無韻の詩である。断腸の絵であるともまたいえよう。
しかも十二社の滝で重信の霊から叱られるくだりは、これまた「牡丹燈籠」のカランコロンのくだりと同じで速記では全然怪奇のほどが分らない。むしろ空々しささえ感じられて今日圓朝あらば正介の夢枕に立たせるとか何とかもう少し現実的な手法を採らせたろうとさえおもわれるほどであるが、しかしこれは前掲「牡丹燈籠」の場合の綺堂先生の随筆を考えるとき、あるいは随分このままで圓朝の舌をとおして聴かされるときは物凄かったものかとおもい直される。なら、にわかにいま軽々とその良否を論ずべきではなかろう。
重信の霊に叱られ、真与太郎様育てて先生の仇をと
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