ひとつの用意にかえってクッキリと全体の詩情がかもしだされること少なくないことを、我々はようくおぼえておかねばならない。
 おきせにいい寄る磯貝浪江の術策はまず虚病をつかって玄関へ打ち倒れるのであるが、それを葛飾住居の烈しい蚊のためまさかにその辺へ寝かしもおけず、奥へ蚊帳吊って憩《やす》ませる、これがずるずるその晩泊り込んでしまう手だてとはなるのである。かつて私も葛飾住居の経験があるけれど本所に蚊がなくなれば大晦日――あの辺り今日といえども四月から十一月まで蚊帳の縁は離れない。宇野信夫君の『巷談宵宮雨』では深川はずれの虎鰒《とらふぐ》の多十住居で、蚊の烈しさに六代目の破戒坊主が手足をことごとく浴衣で覆ってしまう好演技を示した、つまりそれほどの蚊なのであるから、それを浪江とおきせの人生の一大変化へ応用せしめた腕前はまことに自然で賞めてよかろう。それからおきせにいい寄るくだりでも始めはおきせを斬るという、が、愕《おどろ》かない、そこで、では面目ないから手前が切腹するという、やはりどうぞ御勝手にと愕かない、最後に、ではこの真与太郎殿を殺すといわれ、初めておきせは顔面蒼白してしまう。さてそこまで
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