)桜が一面に咲いて居る所へ虎が威勢よく飛んで居る所を、彩色でこう立派に描いて下せえな」というのが大へん可笑しい。桜に虎などはいかにも田舎者らしくわけ[#「わけ」に傍点]が分らなくて、ギャグとしてもまた斬新である。しかもこのギャグで茂左衛門の人柄をよろしく見せておき、のち[#「のち」に傍点]に寺でこの男がつきっ切りでへんな画題ばかり註文するゆえ、彩色は後廻しにてまず天井の墨絵の龍から描く、それが素晴らしい怪談を生むに至るとこういう段取りになるのだから、効果は一石三鳥といっていい。毎時ながら圓朝の用意のほどに降参してしまわないわけにはゆかない。このお客へ重信が「只今何か……冷麦を然う申し付けたと申すから、まあよい……では、一寸泡盛でも……」というのも冷麦、泡盛といかにも夏らしい対照《とりあわせ》でいい。かつて神田伯龍は「吉原百人斬」の吉原|田甫《たんぼ》、宝生栄之丞住居において栄之丞をして、盛夏、訪れてきた幇間阿波太夫に青桃と冷やし焼酎を与えしめた。これまた、真夏の食べものとしては絶妙と、私は頗《すこぶ》る感嘆これを久しゅうしたことがあったが、すべてこうしたほんのちょっとした小道具のひとつ
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