ついて一席弁じている。そうした教養の展開がまたいかに本文の事件に真実性をクッキリと色添えてはいることよ。
 この菱川重信の妻おきせの美貌に懸想し、望みを協《かな》えてくれねば重信の一子を殺害するとていい寄った浪人磯貝浪江は思いを遂げてのち正直の下僕正介を脅かして手引きをさせ、ついに落合の蛍狩の夜重信をも暗殺してしまった。然るのち、遺子《わすれがたみ》の真与太郎をも殺害せんとするので前非を悔いた正介はこの子を連れて出奔し、のち乳房榎の前において五歳の真与太郎が立派に親の仇を討ち果す。これより先おきせは乳房の中に雀が巣喰うとて懊悩狂乱、悶死してしまうという物語である。
 ではその磯貝浪江の姦悪は、いついかなる機会から最初に働きかけられているか。高田砂利場南蔵院の天井、襖へ嘱されて重信、絵を描きにいくことになるが、葛飾に住む重信の高田の果てまで日々かよっていくことは到底できない、正介伴うて南蔵院へ長逗留する、すなわちその留守をつけ込むのである。
 これに先立ち小石川原町の酒屋万屋新兵衛に伴われ高田村の百姓茂左衛門は絵の依頼にやってくるのであるが、その茂左衛門、重信をつかまえて、「先生様(中略
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