の一家の一人一人へ祟っていく凄惨さを中心に掘り下げていったなら、よほどおもしろくはなりはしなかっただろうか。つまり私は作者自らも謂っているところの「江島屋騒動[#「騒動」に白丸傍点]」でなく、あくまで「江島屋怪談[#「怪談」に白丸傍点]」でありたかった。つまり圓朝のアッシャ家の没落といきたかったのだ。全篇のほとんど大半をそういう怪奇と戦慄で仕立てていって、尚かつとどのつまりを善因善果の解決にまで持っていって持っていけないことはゆめなかったろうと信じている。
何れにしてもこれは圓朝稀に見る不傑作であると同時に、しかもよく今日まで名声を克ち得ているのは、あえて再びいうが花嫁入水、老婆呪詛のあまりにも卓抜であり過ぎたためである。全くこの二席の空高く浮く昼月の美しさに比べ見て、なんと他のことごとくの闇汁のゴッタ[#「ゴッタ」に傍点]煮の鵺《ぬえ》料理の、ただいたずらに持って廻り、捏ねっ返して、下らなくでき過ぎていることよ。
でもその持って廻っている十何席の間にも幾度かその場はその場としてなりの技巧の妙、会話の味、描写の冴えを見せているところ十指にあまるくらいであることはいう迄もない、いちい
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