られた桃川|如燕《じょえん》の速記だったとおぼえているが、開口一番、如燕自ら今日の講釈師の不勉強不熱心をさんざんにこき下ろして、さて本題に入っている。すでにここが今日のいやに整頓されてしまっている速記とちがっておもしろいが、さらに第何席目かの喋りだしにおいては「ここ二、三日、宿酔の気味で休みまして」と正直に断っている。何もそんなこといちいち断らずとも読者には分らないのであるが、それをハッキリと断り、速記者もまた克明にその通りを写して紹介しているところがいよいよおもしろい。好もしくもある。然るに――さらにさらに終席ちかくに至ると突然|貞玉《ていぎょく》(?)とかいう人(のち[#「のち」に傍点]の錦城齋典山《きんじょうさいてんざん》だろうか、乞御示教)が突然代講していて、なんとこういっている。
「如燕先生は大酒が祟って没りました。で拠ん所なく今日からは私が……」云々。
 読んでいて私、ふっと瞼の熱くなってきたことを何としよう。もはやここまでくると『檜山実記』の是非善悪より、この速記をめぐって、ある人生の一断面のまざまざと見せられていることに何より私はこころ[#「こころ」に傍点]打たれずには
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