助一代記《しおばらたすけいちだいき》」もまた逸《はず》すべからざる代表作品であるがこれらの検討もまた他日を期そう。
 まず速記そのものについていいたい、冒頭に私は。
 ひと口に速記というもの、大方から演者の話風を偲ぶよし[#「よし」に傍点]なしとされている。たしかにこれにも一理あってまことに速記は円盤と同じくかつて一度でもその人の話術に接したものにはいろいろの連想を走らせながら親しむこともでき、従って話風の如何なりしかをおもい返すよすが[#「よすが」に傍点]ともなるのであるが、そうでない限り、話術のリズムや呼吸、緩急などは、絶対分らないといってよかろう。
 その代りその人の高座を知っているものに昔の速記はなかなかに愉しく、微笑ましかった。かりに「なか[#「なか」に傍点]申しておりまして」というような口調の落語家ありとすれば、その通り速記もまた「なか[#「なか」に傍点]申して」いたし、「客人何々を御存じか」などと風流志道軒の昔を今に大風《おおふう》な口の利き方の講釈師ありせば、これまた、速記も同じような大口利いていたからである。往年、私の愛読した『檜山実記――相馬大作』など「百猫伝」で知
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