たお露と新三郎を、次の次の章においては志丈、「もし万一の事があって、事の顕われた日には大変、坊主首を斬られなければならん」と事情あくまで推察しているくせに「二月三月四月」と萩原の許へ立ち廻らない。こうしたところにいよいよ志丈という男の大悪人ではないが、おざなりな自分本位の人間たることがよく表わされている。
 そのひとつ前の章――即ち孝助が主人飯島平左衛門に前半生を物語り、初めて先年無礼討にした酒癖の浪人黒川孝蔵の忰であったか、よし、ではいつかはこの不憫の奴に討たれてやろうと決意させるくだりにおいては「まず一番先に四谷の金物商へ参りましたが、一年程居りまして駈け出しました、それから新橋の鍛冶屋へ参り、三月程過ぎて駈け出し、また仲通りの絵草紙屋へ参りましたが、十日で駈け出しました」云々と孝助にこし方を語らせている。すでに拙作『圓朝』の「初一念」の章を読まれた方々はこのくだりを読まれてたちまち思い半ばに過ぐるものあるだろう、こうした孝助の転々さは圓朝自身の少年時の姿を毫末も変らず、吐露し、ただ圓朝の初一念は落語家にあり、孝助の初一念は武家奉公にあり、僅かにそこだけがちがっているばかりだからで
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