娘お露の柳島の寮へさそっていくお幇間《たいこ》医者山本志丈を、「大概のお医者なれば一寸《ちょっと》紙入れの中にも、お丸薬や散薬でも這入っていますが、この志丈の紙入の中には手品の種や百眼《ひゃくまなこ》などが」云々と紹介しているのは、いかにもその人柄が一目瞭然とされておもしろい。しかもそのすぐ直前、この人は古方《こほう》家ではあるが諸人助けのために匙をとらないなど、落語家圓朝にしてはじめていい得る天晴れなギャグとおもう。
 次いで寮へ上がり込んだところでは、志丈をしてここへくる前立ち寄った臥龍梅における新三郎の句を「煙草には燧火《すりび》のむまし梅の中」、志丈自身のを「梅ほめて紛らかしけり門違い」と披露せしめている。いずれも圓朝自らの作句とおもうが、いかにもそれぞれの人らしい感じのでている上にさして月並でない。嫌味なく思いのままをうたっているところ、さすがとおもう。余談であるがこの志丈、今は亡き尾上松助が当り役で、これも今は亡き増田龍雨翁に、すなわち句がある。
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西瓜食えば松助の志丈などおもう
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 それにしてもここで互いに憎からず、おもいあっ
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