小手投げをくわしている手際である。こうした二つの物語をテレコに運んでいく手法は南北にも黙阿弥にも屡《しばしば》見られる江戸歌舞伎の常套的作劇法であるが、それを話術の上へ、こうまで鮮やかに移し植えたは圓朝独自の働きとしていいだろう。ABをテレコに運ぶ構成の効果は明らかに演劇よりも人情噺の上においてのほうが甚大で、舞台においてはただ幕ごとにガラリガラリと目先が変っていくおもしろさだけであるが、高座の場合は昨夜のつづまりやいかにとAの物語に釣られてきたお客が、翌晩はおもいもかけないまた別のBのおもしろい物語に酔わされ、このBの結末もまたいかにと二倍に吸引されてきてしまうわけになる。同時にはじめてBの物語に魅かれてきたお客が翌晩Aの物語を聞かされてまた感嘆してしまった場合も同様。従ってこれはまさしく当時として極めて有効な八方睨みの客寄せ法といってかなりだろう。
発端はすなわちそのA――若き日の飯島が本郷の刀屋の前で、酒癖の浪人黒川孝蔵を無礼討にするこれがプロローグのように点出されている。そしてこの間何年相経ち申し候ということになり、次にはお露新三郎のくだりとなるのである。萩原新三郎を、飯島の
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