ぶんの佐竹には石垣があり、石蕗が咲き、蟇がなき、ああしたさびしい景色の家がザラに見られた。
同じことが竹久夢二画伯の版画の上にも云へる。日本橋堀留の水の青さ、一石橋の甃石の日の光りは岡山生れでありながら東京錦絵風景を好んで愛された画伯の筆によくよく[#「よくよく」に傍点]写されてゐるけれど、近ごろ再版されてゐる三味線堀の図は掘割の水の群青の一刷毛でえがき出されてゐるため前記のかんじが全くでてゐない。どうしてもあすこの水のいろは薄墨色でベトツとなすつてもらはなければほんとでないのだ、高篤三所蔵「風俗画報」の「浅草名所図絵」の挿絵家山本松谷は流石に心得たもので三味線堀の図に配するに捕鼠器にかかつた鼠をこの堀に棄てに行く町娘並びにその背後から興がり噺し立てて行く町の悪童どもを描いてゐる。捕鼠器の中の鼠は未だ生きて跳ねてゐる。それがいか許りこの三味線堀の薄濁つた感じにピタリと来てゐることか。この点私たち東京育ちのものは巧拙に関らず、東京中の大ていの昔の町、昔の風情ならえがけるつもりだけれど、地方からでて来られた芸術家は、あの年代の人たちでも、尚且かうしたことがあるものと見える。同様に我々が他
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