ではなく、一めんの黙々と白い、巨いなる固まりの、さうしてまことに一も二もなくたゞそれつきりのものだつた。
 しきりに妹はそれで土瓶や兎などこしらへてゐたが、土台が白一といろなのだからどうにも佗びしく、およそ法返しのつかないものだつた。
 かね/″\私は一ど自著の表紙にはありし日の下町生活の象徴として、ただ[#「ただ」に傍点]※[#「米+參」、第3水準1−89−88]粉を木村荘八画伯に描いていたゞき度いとおもつてゐるものであるが、この分では表紙にして見ても若い読者たちからは此は一体何だ色見本かとでも云ふことになりさうである。
 いつそはかなく情なかつた。
 ……今し方、横丁の文房具屋まで便箋を買ひにでて、そこに春待つ羽根のたぐひの山ほど積まれてあるのをみいだしてはじめて私は、ホツと安心したやうなものを感じた。
 白と朱のや、黒と牡丹と緑のや、さては五|色《しき》もいろとり/″\のや、なべての羽根はみなことごとく世にも美しく花々しく彩られてはゐたからである。

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 以上を発表してすぐ同じ浅草育ちの高篤三からは左の葉書をもらひ、さらに昭和十八年十月はしなくも仲見世で紅一
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