のやうな日和となつてゐた、小さいじぶん私は大叔母に連れられたつた一ぺんだけ、明るい午後の日ざしの中を歩き廻つたことがある。三枚目で売つた新派俳優藤井六輔をこの辺に住まはせて、久保田万太郎氏の「春泥」はこの町のしゞまを如実に描破してゐる。
 さてまた浅草の話へ戻つて、いまも焼けずにのこつてゐる二天門あたり注連《しめ》か飾りか橙か、観音堂ちかい市の売声が、どよめきが真黒い人影が、仄明るい灯かげの中に聞え、うかがはれて来る風情は、亡師父三遊亭円馬が「姫がたり」と云ふ落語。浅草市の晩妖艶の悪婆がお姫さまに化けて、虚病をつかひ二天門のほとりに住む強慾非道のお医者を懲らしむるの一席である。以来、絶えて演り手がない。
 事変がはじまつてから三年、でも未だ未だ世並は割合によくて年の市の晩に、伝法院界隈の古代裂れなどひさぐ小体に気の利いた店の二階、同好寄りつどつて運座を催したことがある。その店先には「乗合船」の舞台をおもはせる見事な柿いろの革羽織が一つ吊下げられてゐたが、句筵半にして階下から上がつて来て我々の仲間入りしたその家の主は、たつたいまあの革羽織が二百円で売れました、世間は景気が好いのですねえと
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