します。焙籠鉄灸《あぶりこてっきゅう》に金火箸、椹《さわら》の手桶は軽かつた、山椒の擂粉木《すりこぎ》こいつァ重い、張子の松茸おお軽い(下略)」もちろんここは大津絵の節ではなく、俗にアンコ入りと称えられる大津絵と大津絵との間で、囃子賑やかに可笑味の三味線いと早口にいと面白く捲くし立てられては行くところなのである。
鳥料理の金田の前へ、お客の買つて来た大羽子板が次々と花やかに飾り立てられ、その側らところどころに明るく景気好く揺れかがやいてゐる弓張提燈の灯よ。羽子板は云ふまでもなく、当時大人気の役者の似顔。明治大正の昔は、今日のやうに毎月芝居が開かなかつたから、たまさか団蔵がかへつて来て仁木を演つたり、大阪から斎入や多見之助や鴈次郎が上京したりすると、それが永く永く話題にのこり、親しく庶民の生活の中へも溶け入つて、早速その年の暮には羽子板や双六の好画材となり、再びそのときの芝居の景色を愉しくなつかしく想ひ起させたもの。さしづめ今日で云へば、六代目と花柳の初顔合はせとか、ロッパとエノケンの合同などが、それである。
廿八日の薬研堀の市のころは、もう数え日で、却つてお天気はしづかに暖かい小春
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