んか、さう云ふ発音でおぼえ込んでしまひ、かくて訛りはいよ/\猫の子のその子の猫の猫の子の……と云つた具合に氾濫拡大されてゆくだらう
取り戻す可し東京の声。[#地から1字上げ](昭和十四年秋)
年の市
先づ十二月の十四日、深川の八幡さまを皮切りとするこの東京の年の市は、次いで十七十八日が浅草の観音さまで、廿日廿一日が神田の明神さま、そのあと芝神明(廿二日)芝愛宕権現(廿四日)平河天神(廿五日)、さうして納めが二十八日の薬研堀だつたが、明治末からか大正からか俄に銀座の繁昌が一ときはとなつて、大晦日あすこの西側にも年の市が立つやうになつた。
浅草の市、神田の市のそのころは、ともするととろんとあぐねて曇りがちの、夕かたまけて小雪のちら付いて来ることも屡々だつた。この浅草の年の市の夜の賑はひは、いま此を小林清親が旧東京版画の上に偲ぶ可し。さらに大正年代の富士山印東京レコードなる故柳家枝太郎が大津絵の「両国」の一節に聴くもよからう。
曰く※[#歌記号、1−3−28]浅草市の売物は、雑器に塵とり貝杓子、とろろ昆布に伊勢海老か、桶ァ負けた、市ァ負けた、笹に付いたるこの面は、お福のお面と申
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