に心中いささかギョッとしていたら、急がず騒がず悠然として、やがてのことに日本太郎はその短刀で、醜く長く伸びていた己れの手の爪を一つ一つ削りはじめたというのである。
 彼の全面目が躍如としている。
 私の聞き知っている逸話では、本所辺の縄のれんで、三下のあンちゃんが、因縁をつけてしきりに管を巻いていた。
 居合わせた太郎がこの喧嘩を買ってでて、恐らくその須田君をちょいと冷やりさせたのと同じ短刀だったのだろう、ギラリ鞘抜き放って若いのの前
「ヤイそこな奴、こいつが手前ア怖かぁねぇのか」
 と芝居がかりで飛び出していって睨みつけたら、
「冗、冗談言うねぇ」
 さすがにチンピラでも、やくざものの端くれ、
「そんなものが怖くって、縁日の肥後守を売ってる爺さんの前が通れるけえ」
 とばかり、これがてんで受けつけない。
「おやこの野郎」
 一瞬、いささか、鼻白んだが、さりとて到底このまま引き下がってしまえるわけのものでもない、ようし一の矢が外れたらすかさず今度は二の矢といこう、どっこいこっちにゃまだまだ奥の手がちゃあんとあるんだとばかり太郎、
「若僧。じゃ、短刀は怖くねぇのか」
「ねぇ!」
「ウムい
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