の都々逸を諷《うた》ったりしたのが、おおいに江湖の同情を招いたのだろう。
 いかに妻吉に人気があり、収入も多大だったかということは、この間、宇都宮の旅先で手に入れてきた瀬戸半眠翁(瀬戸英一氏巌父)の市井小品集『珍々間語』の中の「斯親子」という阪地の安芸者とその母親との葛藤を叙した一節に、
「かの堀江の妻吉さん見いなア万次郎のために両腕落とされてやったけど、寄席へ出てもこのとおり大人気で両親を楽々養うて、おまけに東京からも買いに来て、東京へ行きやはってもえらい評判で、手取り千円も儲けてきたやないか。お前も甲斐性があるなら、彼の真似をしてみい、できやひょまいが、私にもかような娘が三人もあったら、小借家の七、八軒も建てて家主の御隠居様で暮らしていけるもの、アア辛気くさいことやなア」
 云々をみても、よくわかるだろう。
 また明治三十四年新版の「東京落語花鏡」という番付を見ると、日本手品の柳川一蝶斎や独楽の松井源水と並んで、バカントラの名前がみえる。
 バカントラ。片仮名でかいてあっても、ブラックやジョンペールのような外人ではなく、まさしく日本人。けだし、バカントラは、下関生まれの馬関寅だった
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