かりでこの老練の浪曲節はいっこうに詳しいことを語ってはくれなかった。他に海賊房次郎や蝮《まむし》のお政がそれぞれ自叙伝を劇化させ、自ら劇中の主人公即ち本人となって出演したこともあったが、これらは寄席ではなく、劇場での話ゆえ、ここでは省こう。
 とまれ、花井於梅が寄席へ出たのは、今日の阿部定が、自演の劇を打って歩いているのとまったく同じ理合である。五寸釘寅吉の登場は、これも今日の妻木松吉説教強盗が各所で講演して歩いているのに少しも変わらない。かくして歴史は繰り返す、小平義雄が万々一死刑を免れ、出所したなら、出歯亀同様、寄席へ出て、同じく上演禁止となることだろう。

 被害者の方が、寄席へ出演したのでは、明治末年の大阪堀江六人斬事件で両腕斬り落とされた薄幸の芸者妻吉がある。戦前、この惨劇は映画化されて、森静子が妻吉に扮したことがあったが、妻吉は全快後事件の発祥地たる堀江の賑江亭という寄席へ演したのを皮切りに、東京の寄席へも進出して素晴らしい評判をかち得たのである。自ら口へ筆をくわえて高座で絵を描いたり下座の三味線で両手のない私に惚れるのが一番安全だ、手練手管はさらにないわけだからという意味
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