無遠慮に彼女が展開したとたん、好機到来とばかりよろしくF青年、漁夫の利を占めてしまったというのである。

 そのE師は玉川の僧院に余生をおくって失明、戦後逝った。竜泉寺にもう蓮田が見られないようおでこのしゃっぽの消息もようとしてわからない。あるいはもうE師のあとを追っているかもしれない。
 前座のFは、いまや現役のパリパリで、この文章の中にも登場しているが、さて、「ワタクシハダレデショウ?」
 なに、筆者自身じゃないか――って、冗、冗談だろう、ダ、誰が!
[#改ページ]

    寄席ぐろてすく

 昔々大正の頃、場末の浪花節の寄席へは、明治三十年代一世を驚倒させた例のお茶の水事件のおこの殺しの真犯人松平紀義が出演しては、しばしばその懺悔談を口演した。私が中学生だった大正中世にも根津あたりの町角で白地へ三葉葵の定紋いかめしく黄金《きん》色に印刷した一枚看板のポスターがひるがえっていたことを、今もまざまざ目先に思い浮かべることができる。
 昭和四、五年頃の秋の夜には、神田三崎町の三市場というやはり浪花節の定席へ、怪賊五寸釘寅吉の看板がいと佗びし気に上がっていて、私は今は亡き詩友宮島貞丈と
前へ 次へ
全40ページ中28ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 容 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング