ことはない。
鏡花の「高野聖」「註文帖」、露伴の「五重塔」、風葉の「恋慕流し」、幽芳の「毒草」「己が罪」、紅葉の「金色夜叉」から、晩年は秋成の「雨月物語」まで演じて、
「あれはまさに徳川夢声の先蹤《せんしょう》をなすものだったねぇ」
と、いつもそのたんび吉井師は、感慨深げに呟《つぶや》かれるのだった。
私の話術は、師父たる先代円馬が手ほどきで、ついでこのE師に開眼させてもらったもの。E師は私の母校たるK中学の英語教師から講談師に転身したのであるが、私が入学した時分には、もう薄暗い昼席の釈台を叩いて、若い講談ファンをよろこばせておられたから、英語の方の開眼はさせてもらわなかった。
前置きが長すぎてしまってごめんなさい。
このE師を、仲間があだ名して「尾形清十郎」という。尾形清十郎とは、落語「のざらし」へ出でてくる、向島へ釣りに出かけて路傍の骨に回向をし、その晩、その骨が艶麗の美女となって礼に来て喋々喃々《ちょうちょうなんなん》、おおいに壁一重隣の八さんを悩ますあの老人であるが、わがE師もまた、日頃、とにかく鹿爪《しかつめ》らしいことを並べ立てながら、じつはまったくさにあらずで、
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